死に神






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2008年07月06日(Sun)
死に神
鳩山法相は20日の閣議後会見で、「(死刑囚は)犯した犯罪、法の規定によって執行された。死に神に連れていかれたというのは違うと思う。(記事は)執行された方に対する侮辱だと思う」「私を死に神と表現することがどれだけ悪影響を与えるか。そういう軽率な文章を平気で載せる態度自身が世の中を悪くしていると思う」。(6月20日11時12分配信、産経新聞)
死刑執行は、法執行であり、ゆえに正しい。「死に神」の執行(?)は、法執行ではないので、正しくない。このように、死刑執行と「死に神」の執行とは、法執行か否かという点で、差異がある。法執行による死は、罪の清算という意味があり、「死に神」の執行には、そのような意味はない。従って、「死に神」という表現は、死の意味を奪うものであり、執行された方に対する侮辱である。
周到な論理であり、断定は出来ないが、おそらくは官僚により用意されたものであろう。この論理は、官僚ふうである。法執行に対するこうした感性は、他の職業では身に付かないように思われる。しかし、論理上は、法執行は法執行であるとしかいえず、それが正しいか否かは別の問いである。ナチスの行ったことも、法執行ではある。ナチスは、「死に神」ではないのだろうか。法執行による死は、罪の清算という意味があるにしても、そのような法制度の是非は別の問いであり、「死に神」という表現も、その別の問いに属している。朝日新聞は死刑制度に反対ではないといっているが、それでも、その問いの領域で揶揄する権利くらいはある。
現今の死刑執行は、官僚にとって、法制度を守るためという以外の理由はないだろう。厳罰化が進んでおり、裁判員制度を控え、未執行者が百人を超えるようだと制度が持たないので、こうした挙に出たということであろう。官僚自身は、死刑を熱烈に支持しているというわけでもなく、枢要な法制度である刑罰制度のうち、制度上現存しているものは維持されなければならないと考えているのであろう。
死刑執行人や法務大臣を「死に神」と表現することは、慣用句といってもよいものであり、どのような悪影響もない。この程度の表現を「出る杭」として打つことは、言論の危機を齎しかねない。

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