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2009年03月27日(Fri)
クラナドの最終回には唖然とさせられた。それまで、人生とか言って、曲がりなりにも現実的(?)に進んでいた物語が、一転、エヴァを思わせるメタなものになってしまう。
ゲームはやってないので分からないのですが、どうやら、渚は街と繋がっているらしく、街が不幸だと死に、街が幸せなら、生き延びることが出来る(注1)。第1期は、渚一筋であり、かつ、周りの人を幸せにすることに重きが置かれていて(注2)、このルートだと、渚は死なずに済むはずである。従って、出産のところから、最終話まで飛ぶ。渚が死に汐も死ぬのは、1巡目ということで、それまでの時間と連続していない。こういう悲劇を避けるために、街中が幸せになるように、2巡目をプレーしてくれということらしい(第1期は、この2巡目)。一つの時間が流れているというふうに見えるけれど、それは、いわば叙述トリックということのようです。ある意味、画期的かもしれない。
最終回までは、時間が連続しているとばかり思っていましたし、それで物語としておかしいわけでもない。この点を示したことは、期せずして内在批判となっている(?)。
(注1)渚はネットワークそのものを具象化したものであり(岩倉玲音みたいなもの(?))、ネットワークが良い状態なら生き、悪い状態なら死ぬということらしい。
(注2)だいぶ昔に書いた印象は、当たっていたのかもしれない。
http://fuuko.noblog.net/blog/10479786.html


   


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カレンダ
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