1Q84






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2009年06月07日(Sun)
1Q84
1Q84を読んでみた。ふかえりという少女が書いた小説を、編集者に乗せられリライトする男の話と、DV男を殺している女の話が交互に語られ、この二つが、新興宗教がらみで交わっていき、終盤は、この男と女の「純愛」。自分の知らないことが過去に起こっており、別の「現在」に迷い込んだことが分かる、そこは、月が二つある世界、というようなあたりは、不思議な感覚でした。全文3人称で書かれており、世界の終りのように二つとも1人称というわけでも、カフカのように交互に1人称と3人称というわけでもない。
今まででベストの村上論は、柄谷によるそれでしょうが(というより、ほとんど柄谷のしか読んでない)、自分の主観から世界を構成するありようは、自己完結しており、他者がいない、というようなもの(?)でした。これは正しい。カントを用いているわけですが、カントには物自体という他者がいるというようなことを柄谷は言い出すわけですが、村上も記号の底(?)に物自体といっていいような他者を見出していくわけですが(国境の南、ねじまき鳥)、その先はしかし、迷走しているのでは。おそらく、主観から世界を構成していることには違いはないため、他者を見出したところで、その先はないのかもしれない。80年代に1人称で語ったものを、3人称で語り直そうということなんでしょうが、どうなんでしょうか…。3人称というのにそぐわない作風という気がしないでもない。


   


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