縮図






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2009年09月06日(Sun)
縮図
大西巨人「縮図・インコ道理教」は、「皇国」の縮図をオウム真理教に見ている。これによると、麻原は天皇に当たる。
渡部直己「不敬文学論序説」は、黙説法を鍵概念として、近代日本文学を語る。黙説法とは、ある物について語らないことで、何物かが存在すると思わせるレトリックらしいが、近代日本では、天皇に接近させると同時に、そのものについては語らせないことで、天皇制が作られていった。中心には何もないが、何もないと言わせないことで、何かがあると思わせること。
麻原裁判では、その語らせない対象である天皇に、何かを語れと強いるという顚倒が生じた。当然というべきか、麻原から意味のある言葉は聞かれなかった。アンダーグラウンドにおいて、被害者たちは概ね多弁である。オウム裁判でも、罪が軽い者ほど、必死で反省したものだ。しかし、中心に近づくほど、沈黙が増してゆく。
オウム事件では、天皇の率いる国家が日本中枢を襲ったばかりか、その後の裁判で、天皇が裁かれたわけで、天皇制が少なくとも変容していることは疑えない。
麻原裁判の意義は大きいといわねばならない。弁護団長である渡辺脩の「麻原を死刑にして、それで済むのか?」(注)は、お白洲を拒否したものと、野口武彦に評されている(朝日新聞の書評欄)。お白洲は、土下座しか許さない場所であるが、土下座においては、意味のある言葉を語ることも禁じられる。たしかに、麻原は、天皇だから当然というべきかも知れないが、意味のある言葉を喋らなかった。しかし、土下座もしなかった。こうした存在は、日本の法廷という場所そのものを震撼させたといっていい。
(注)村井指揮説が唱えられている。全て藤原氏が悪いというわけだ。

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