マーガリン






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2010年04月16日(Fri)
マーガリン
《カンボジアの死(注、文民警官戦死)に扱ひが気にくはぬ成るつたけ薄く引けマーガリン》(岡井隆「神の仕事場」)。湾岸戦争の後、国際協力の姿が模索される中、カンボジアに文民警官を派遣したところ、殺されてしまった。その死の扱いが気に食わないので、岡井隆は、マーガリンに怒りをぶつけた(?)ということなのでしょう。マーガリンは人生のことなのかもしれない。人生は、マーガリンのように他愛もない。だから、意味など考えてはならず、その他愛もなさの中に充足して、マーガリンを「成るつたけ薄く引」くように、細く長く生きればよいのである。文民警官のように、人生にそれ以上の意味を求めて、死ぬことはない…。
吉本隆明はこういっている。《わたしの思い込みのなかでは、中田厚仁さんの父親は、当然ながら、うちの息子は国民の合意もないで政府だけが勝手にきめたPKO(国連平和維持活動)などに無償奉仕するためにカンボジアに出かけ、生命を落とすようになったら、ただの犬死だからよせというのも聞かずに、出かけて射殺されてしまった。どうか日本の青年たちは息子のような無駄死などはせずに、じぶん個人の愉しみや生きる目的のためだけ生涯を使って下さいとでも言うものと想像していた》(「UNTACなど認められない」)。
http://wiki.livedoor.jp/shomon/d/%C3%E6%C5%C4%A4%B5%A4%F3%A4%CE%C9%E3%BF%C6%A4%D8%A4%CE%B0%E3%CF%C2%B4%B6
戦後民主主義の帰結としては、こうなるのでしょう。「〈民主〉と〈愛国〉」で、吉本は「「公」の解体」と括られていますが、「公」の解体というコンセプトは、戦後民主主義を純化したものと捉えるべきでしょう。ここでは、どこまでも「私」の中で充足しなければならず、外からの意味付けなど求めてはならない。そんなことをすれば、せっかく築いてきたシステムが崩れてしまう。
イラク人質の高遠菜緒子をモデルにしたと思しき「バッシング」という作品は、彼女の行動を、〈日本には居場所はないんだ、でもイラクで人助けをしているうちは認めてもらえるんだ、だからイラクに行くんだ〉というシンジ君のような論理で解釈していました。これに似た論理で、文民警官も捉えられたのでしょう。


   


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