親の責任






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2010年09月16日(Thu)
親の責任
柄谷行人「倫理21」は、第1章で「親の責任を問う日本の特殊性」を問うている。親の責任を問うことは、日本社会の構成の特殊性に由来しており、日本社会の核心を突いている。
日本社会では、人は一つの集団にしか帰属できない。換言すると、一つの集団に囲い込まれる。しかし、人はダイレクトにではなく、集団の中にある小集団を通じて、集団に帰属する。小集団は、それぞれ独立している(参照、中根千枝「タテ社会の力学」)。そして、小集団の一員に何らかの逸脱があると、小集団の他の成員も集団から連帯責任を問われることになる(村八分を想起されたい)。人は一つの集団にしか所属していないので、そこから排除されると孤立してしまう。逸脱に対する排除は、集団の成員の楽しみでもある。そうならないために、小集団では、相互監視が行われる。
ポイントは、人は集団に囲い込まれた上、その中の区切られた小集団において相互監視していることである。親の責任は、このような社会構造から必然的に出てくる。逆に、このような社会構造でなければ、親の責任など問う実益はない。


   


人手です。

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