郷党社会






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2010年09月30日(Thu)
郷党社会
日本文化論が議論の中心を占めていた頃があった。敗戦後のことである。天皇制ファシズムの原因が、日本文化の中に求められた。その頂点が、丸山眞男である。彼は軍隊を観察し、暴力が上から下に伝わっていくが、上は下に突き上げられ何も決めることが出来ない、横のつながりがないといった病理をそこに見出した。中根千枝「タテ社会の人間関係」(1967年)が描き出すところのタテ社会である。そこには主体性がない。しかし、これをどう克服できるかは示せなかった(「歴史意識の「古層」」の後、実質的に沈黙する)。思うに、精神構造を見るだけでは、その由来は分からない。それを生み出す社会構造を見なければならない。しかし、丸山は、軍隊を観察しただけである。丸山に代わって社会構造を見たのは、弟子たちである。
民俗学から出発した神島二郎は、都市は、郷党社会に似たものとなっており、「第二のムラ」と言いうるものであるとする。しかし、なぜそのような転写が起こるのかについて、必ずしも説得力のある説明を与えていない。
もっとも整っているのは藤田省三「天皇制国家の支配原理」であろう。絶対国家を経て、国民一人ひとりを水平化しなければ近代国家にはならないが、そのためには、中間団体を解体して、国家が直接に国民とつながらなければならない。しかし、明治国家は中間団体である郷党社会を解体せず、郷党社会を末端として組み込んだタテ社会(そういう言葉は用いていないが)を築きあげる。昭和に入ると、郷党社会が軋みだし、そこからのエネルギーを上にあるタテ社会も制御できなくなり、天皇制ファシズムに至る。藤田はさらに、「維新の精神」で、維新の原動力は、タテ社会の軋みから(タテ社会においてはあってはならない)横のつながり(「横議・横行・横結」)が出来たことにあるとする。しかし、すぐに別のタテ社会(「天皇制国家」)が生まれ、横のつながりはそれに回収されてしまう。これは戦後にも起きたことだが、それがなぜかは、藤田の行論からは必ずしも分からない。

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