召喚






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2011年02月15日(Tue)
召喚
小熊英二「〈民主〉と〈愛国〉」は、六十年ころに思想上の断層が存しており、それまでの思想はそれからの思想とは随分と違ったものであったことを明らかにする。六十年ころにヘゲモニーが丸山から吉本へ移ったことは、常識であろう。しかし、その内実は、必ずしも明らかではない。戦後民主主義は一般的に国家を嫌悪している印象であり、また、丸山は戦後民主主義を代表する人物であるかのように思われているが、小熊によると、丸山の思想は愛国というカテゴリーで括りうる。国家を嫌悪する戦後民主主義は、断層を経た後に現れた。しかし、六十年代ころに断層が生じた理由は語られていない。
これに答えることは、そう難しくない。丸山は、日本社会はあるべき社会からかけ離れていると考えたが、吉本は、大衆の望むようにすればいいという前提に立ち、その上で丸山が希求するあるべき社会など大衆は望んでいないとした。大衆は六十年ころまでは、丸山に付いており、そのころまでは、日本社会に懐疑を抱いていたことが分かる。しかし、六十年ころに、日本社会への懐疑が消失する。このころ、日本社会は会社社会化し、経済も軌道に乗ったからである。会社は日本の集団原理に則ったものであり、大衆の日本社会への懐疑はこれにより吹き飛んでしまう。そして、日本の集団原理は、集団で閉じるものであり、国家など考えずに済むように出来ている。その原理に立つのなら、民主にせよ愛国にせよ国に関わるものであるから、丸山を切るのは、理路としては分かる。
戦後に急成長できたのは、敗戦により集団原理そのものが揺らいだわけではないからである。しかし、日本の集団原理は急成長は出来ても、国レベルではすぐに朽ちてしまう類の集団原理である。明治維新から敗戦までと同じように、敗戦から第二の敗戦とも称される事態に陥るまでは、僅かな月日しか経過していない。小熊が戦後直後の思想を召喚したのは、第二の敗戦の直後であり、時宜を得た著作といえる。


   


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