シチズン






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2011年05月26日(Thu)
シチズン
裁判員制度は、市民感覚を裁判に反映することを目的としているとされる(もっとも法文にそのような目的が書かれているわけではない)。どこかこれには違和感がある。おそらく、それは市民という言葉が用いられていることによるものだろう。市民をシチズンシップというエートスを備えているものだと捉えれば、現在の日本にそのようなものが存在しているかどうかは疑わしい。にもかかわらず、市民感覚を反映するという言い回しは、そのようなものが存在することを前提にしている。おそらくは、批判しがたいような言葉を選んで用いているのだろう。しかし、どのような舶来の言葉を用いても、対応するエートスが存在していないので、しっくりと来ることはないだろう。存在しているとすれば村人であり、ムラビトシップでしかない。それぞれの人がどこかの村に属している。その限りで裁判官も普通の人と些かも変わらない。彼らが属しているのは裁判村である。

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