詠嘆






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2011年07月01日(Fri)
詠嘆
新聞の社説は落ち着きどころを見つけられればそこに落ち着き、そうでないときはいろいろな意見をまとめているだけのことが多い。相互監視社会では言い過ぎると嘲笑の的になるので、落ち着きどころを見いだせればそれでいい。それ以上の思考をした痕跡は見当たらない。新聞に批評は存しないということは、新聞について考えるときのスタート地点であろうが、その由来は相互監視社会にある。新聞の社説は読まれていないが、それは当然である。しかし、新聞の朝刊コラムはそれなりに読まれていると思われる。
新聞の朝刊コラムは、社説と同じく論説委員が書いており、社説と同じ論旨である。しかし、社説に輪を掛けて独特の書き方をしている。パターンがあり、それは、枕に引用を置き、トピックにつなげ、それから次々と目先を変え、最後に枕の引用の呼応めいたことを書いて終わるというものである。これは起承転結などという生易しいものではない。論のつながりは前後にしかない。従って、起次次次とでもいうべきものである。そして、最後に来る枕の呼応は、詠嘆の余韻を残す。とはいえ、トピックで示される落ち着きどころについては、少しの反論も許していない。相互監視社会の落ち着きどころである以上、当然のことではあるが、詠嘆に反論を塗りこめる働きがあることは、注目されていいかもしれない。


   


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