ムード






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2011年07月15日(Fri)
ムード
日本社会では、理念が語られたとしても、すぐにタブーと化してしまい、思考はそこで止まる。理念を賞賛するムードが作られるが、その底には相互監視があり、批判することはできなくなる。戦後における理念は戦争放棄であった。批判する右はカルト扱いされたと、大塚英志はどこかで書いている。もっとも、ムードが作られるに際しては、それを支える事実がなければならない。日本政府に戦争遂行能力はないこと、そのような政府に徴兵されるのは危険であること、そして米軍が駐留していることなどの事実がそれである。しかし、戦争放棄が理念のようなものたりえた理由は、別に考えなければならない。
日本国憲法の戦争放棄は世界政府を前提としている。あらゆる国家が戦争を放棄したとしても、武装している存在はどこかになければならないからである。戦後の日本人は世界政府を肯定したといえる。しかし、世界政府はなぜ肯定されたのだろうか。戦前は、日本が本家となって中朝などを分家とし、アジアの盟主になることが夢見られた。しかし、敗戦はその夢を捨てさせた。そこで、その夢は、世界政府が本家となり、日本は分家となるというふうに掏り返られたのである。家的な包摂そのものは捨てられてはいない。こうした理路により、戦争放棄は理念のようなものたりえた。

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