風子思考集成 - 2008/02

fuukoについて




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2008年02月28日(Thu)▲ページの先頭へ
小さな記事も大きくすれば、違った何かが見えてくる
新聞マエストロなる人物が、「小さな記事も大きくすれば、違った何かが見えてくる」と
いっているのですが、別に本気で問いたいわけではありませんが、何が見えるのでしょう。
パネルは、思いッきりテレビが、思いっきり使って成功したと思うのですが(源流として、
やしきたかじんが、関西の低予算の中で編み出したのだとか…?)、改変で、パネル自体は
使わなくなり、似た効果を生み出すべく工夫している。朝ズバッもパネルだから先方が
避けた形でしょう…。
パネルは、一部を隠すことで、視聴者を引くことが出来るのが、メリットではないかと
思われます。新聞を読むときでさえ、何か隠すわけです。パネルとして、新聞を見た
というのは、ひとつの卓見なのかもしれません。
新聞を読んでるだけのテレビとは何なのでしょう。しかし、もはやテレビしか新聞を
読まなくなったというべきなのかもしれません。


2008年02月25日(Mon)▲ページの先頭へ
夏の妹
大島渚「夏の妹」は、沖縄返還の年に、それにぶつけた作品ですが、
沖縄を妹であるとするのは、鋭い直感だといえる。本土は兄なのでしょう。
従って、レイプ事件などの際の声は、「お兄ちゃん、妹がレイプされたって
いうのに、平気なの?」とでも変換しうるのでしょう。しかし、相手は、
父であるアメリカです。「そうはいうけど、父が相手じゃなあ。妹よ、君が
我慢してくれれば、兄さん助かるんだけどナ」というものでしょう。


2008年02月22日(Fri)▲ページの先頭へ
石動乃絵
石動乃絵は、どうやら自分の気持ちが恋であると気づいたようです。
女の子が、好意に似たもやもやした感情を、名づけ得ぬまま持っていて、それが恋だと
気づくという……少女漫画ですね。
恋愛は、あるフレームであって、感情はもう少し混沌としているのでしょうけれど、
そういうフレームがなければ、関係がちっとも進まない。
愛というのは、音読みしかないですが、恋には、訓読みもあります。
たぶん、恋は文字以前にあったものの、愛はなかったのでしょう。
恋愛はそれらとは違い、この国では、北村透谷のいい出したことでした。


2008年02月18日(Mon)▲ページの先頭へ
私、自分のこと正直だと思ってたし、ピュアだと思ってた。それだけが取り柄だと思ってた
「海でのはなし。」を見たのですが、スピッツの曲しか使わず、しかもそれがずっと
流れされていた。スピッツが好きだというのは、私ってピュアなんですというのと
同じです。最悪なのは、ミスチルがほんとに好きですとか真顔でいってる人です。
信じられないかもしれませんが、昔はけっこういたのです。まあ、ピュアなところは
あったほうがいいのかもしれません。「私、自分のこと正直だと思ってたし、ピュアだと
思ってた。それだけが取り柄だと思ってた」と宮崎あおいは、いっている。こんな
台詞は学生の自主制作でもいわれないでしょうから、そういうピュアなのを意識して
詰め込んでいるのだと思います。スピッツもそういうラインで使われてるのでしょう。


2008年02月16日(Sat)▲ページの先頭へ
異母兄妹
true tearsの6話で、比呂美と真一郎は、異母兄妹かもしれない(たぶん、母親の
悪い冗談を真に受けているだけだと思うのですが。)ことが示されました。
異母兄妹という言葉をアニメで聞いたのは、ママレードボーイ以来でしょうか。
まあ、恋風とかはありましたけれど…。しかし、古事記なんかだと、異母兄妹は
普通に結婚しているわけです。古事記では、兄妹愛がきわめて
大きなファクターとなっているといえるでしょう。反面、母とか妻は、思慕される
のですが、どうもおぞましいものとして捉えられている気がする。


2008年02月14日(Thu)▲ページの先頭へ
確固たる砂漠を生き抜くこと、それが役割です
紀子の食卓を見ました。紀子は小津から、ユカは宮台あたりからでしょう。
つながりというのがゼロ年代のキーワードのようですが、そこでは自己と自己との関係が
ない。つながっているだけ、その中で空気を読んでいるだけだから…。この国で、
主体化があったためしなどないというべきなのでしょうけれど。
与えられた役割を果たすことで、その役割としての自己を演じることで、自己と自己との
関係が築かれてゆきます…。かって映画では、父は父らしく、子は子らしくあったものです。
ジョン・フォードとか見れば分かるように。それがなくなり、レディ・イン・ザ・
ウォーターなんかだと、必死で胡散臭いながら、役割を演じていてそこが感動のしどころ
になっていたりもします。「確固たる砂漠を生き抜くこと、それが役割です」。


2008年02月12日(Tue)▲ページの先頭へ
視点人物
キミキスでは、視点人物のほか、原作にいない茶髪、サックスが登場します。
ギャルゲーを元に青春群像をやるというのは、まったくいただけない話です。
しかも、この2人はバカにしか見えない。出来がいいと思われるtrue tearsも、茶髪だし。
ゲームなら女の子が寄ってくるのは分かるのですが、リアルに近づけたのであれば、
それは不自然というか、どこに惹かれてるのかまったく分からない。
しかし、なぜ、こうもバカにしか見えない男の子しか出てこないのか。
女の子の造詣に忙しくて、そこまで手が回らないということなのでしょうか。
おそらく、視点人物そのものか、視点人物を分裂させているだけだからなのでしょう。
海辺のカフカは、視点人物を思わせる内面のない少年の物語で、感情移入など出来ない
ように思うのですが、同年代の人たちは、共感できるらしいのです。
生が視点人物化してきているということなのでしょうか。


2008年02月09日(Sat)▲ページの先頭へ
無理やり歌わされてる
ロリ声は、昔からあるわけではない。それはおそらく80年代に現れたものである。
この頃の、少女写真のある部分はもはや手に入れることも困難だが、声はそうではない。
子供の声は、そのままではロリ声とはいわないだろう。何らかの仕掛けが必要である。
代表的なのを2つくらい挙げておくと、まず、戸川純。子供が、無理やり歌わされてる
感じ。無理やり歌わされてる感が、ロリである。
次に、うしろゆびさされ組。ほとんど棒読み。素人っぽい。はっきりいって下手。
しかし、これらが、なんともいえず良い。
子供(プロかつ素人)にこうした歌い方をさせた。これは偉大な一歩でした。


2008年02月07日(Thu)▲ページの先頭へ
おせっかいな男の子ってバカみたい
true tearsの5話で、比呂美(そういう漢字らしい。)は、怒って、「おせっかいな男の子
ってバカみたい」といいます。この辺の心理は、内面の声が、これでもかと入れられて
いるので、分かるというものですが、どうやら、いつも気持ちを抑えていて、誘って
きたのかと思ったのに、下らないことしかいわなかったことに、ムカッと来たという
ことみたいです。
しかし、ここで、このような表面的なせりふをさらっと吐けるというのが、女の子の
女の子たる所以であるというべきでしょう。この辺は、変換ソフト(例えば、「オンナの
[建前⇔本音]翻訳辞典」)でも、状況に即した用法であるため、難しいかもしれません。


2008年02月06日(Wed)▲ページの先頭へ
羞恥がなければ、子供はゼロだ
スタジオパークをたまたま見てると(2/5)、大河(見てませんが、)で宮崎あおいの
養育係の人が出てきて、愛する人が生きてるうちに気持ちを伝えないといけないと
語っていて、彼女も、ビデオで出演し、そういうことを言われたんですよと、
恥じらつつ述べていた気がする。それが、妙にかわいかったのです。
坂口安吾は「日本文化私観」の中で、舞妓を否定しつつ、「羞恥がなければ、子供は
ゼロだ」と述べている。舞妓がこれに当てはまるかは、分かりませんが、ここで
言わんとしてることは、何となく分かってきた。中国の盲妹という、少女の目を
潰して愛でるのは、いかにも人工の妙味があるが、舞妓にはそれはなく、かといって
自然の妙味(羞恥のことらしい。)があるわけでもない…。
たしかに、援交少女とかに、羞恥などはまったくない。


2008年02月03日(Sun)▲ページの先頭へ
イヌネコにしか心を開けない人たち
香山リカが「イヌネコにしか心を開けない人たち」という本を出したそうです。
外では、感情労働みたいなのを強いられ、無償の愛みたいなのは、イヌネコにしか
ない…。香山氏は、ぱっと時流をキャッチする人ですし、言うことはまだ未熟でも、
そこを批判することで、北田暁大「嗤う日本の「ナショナリズム」」あたりが書かれたりも
したのですが、いいたいのは、犬みたいな感じの新人アナが、出てきていることです。
たとえば、葉山エレーヌは、犬のような感じがする。実際、初仕事は処分される犬を
見て泣くというものでしたし。出水麻衣という人も、そんな感じがする。
なんとなく、物ほしそうな感じですよね。犬みたいというのは、褒め言葉としていってる
のです。かわいいという言葉は、犬と子供のためにあるようなものですから。


2008年02月01日(Fri)▲ページの先頭へ
これが本物の毒
中国の餃子から毒が出てきたらしいですね。死にかけた人もいたとか。
去年は、「偽」の年で、賞味期限とか産地とか、いろいろ言われたものでしたが、
そんなことをいえば、日本は、エクリの伝説的な翻訳者である佐々木孝次氏の
書物がいうように「文字と見かけの国」であり、本物なんてないのですが。
しかし、船場吉兆やら、赤福やらを吹き飛ばしましたね。
これが本物の毒というものでしょう。よくも悪しくも本物の国です、中国は。
こんな国と戦争をしても勝てないというものでしょう。


   


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