風子思考集成 - 2008/09/27

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2008年09月27日(Sat)▲ページの先頭へ
岬ちゃん
「ある子供」を見た。大澤真幸「不可能性の時代」(岩波新書)で、ドキュメンタリーふうに撮られた物語にまったく救いはないが、フィクションであることを示すため、ラストに救いを入れてみたという監督の言葉が紹介されており、どんな舐めた感じなのか、楽しみだったのですが、フレームは完璧なものでした。そのラストは、どうしょもない男が、彼の子を生んだ女に、頭を子供のように撫でられ、泣いてしまうというもので、タイトルの由来にもなっているようです。これは、母をイメージさせる。愛されなかった子を、母親のように、撫でてあげる、これが救いということのようです。
サッド・ヴァケイションでも、ラスト間近で、宮崎あおいが、中国人に追われて怯える青年の頭を膝枕の上で撫でていますが、母性の目覚めというようなものなのでしょうか。キャリア的にも意味のあるシーンなのかもしれません。
結局のところ、ソーニャがいなければ、あるいは、岬ちゃんでも、牧野由依でもいいのですが、救いはない。富野とともに、女が母をやめたとき、全ての悪が始まったというべきなのでしょう(ブレンパワードにそういう台詞があった)。


   


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