風子思考集成 - 2008/10

fuukoについて




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2008年10月28日(Tue)▲ページの先頭へ
ニュースの原稿
アイドルというのは、テレビを見ている人々の欲望を具現化したものなわけですが、ビジュアルだけ飾られているというわけではなく、物語化されて呈示されます。この物語化を行うのが、作詞家(やプロデューサー)であろう。従って、まなざしを意識しつつ、人の言葉をそのまま歌って、虚像を形作るわけですが、晒されているのは生身の身体なので、例えば、ツベルクリン注射の跡の生々しさが、エロスを感じさせたりします。従って、そのありようは、演歌歌手と変わらないわけですが(秋元康は、「川の流れのように」を作詞した。)アイドルは、ほとんどありえないほどの虚構を歌い、それゆえに棒読みでも構わない(演歌のように情感たっぷりだと、かえっておかしい)。
女子アナの魅力は、彼女らがニュースを棒読みする存在であることに由来していると思われる。アイドルの歌に当たるのが、ニュースの原稿といえる。棒読みと彼女らが行うコミュニケーションとの落差が、人をひきつけるのだ。女子アナのアイドル化を嘆く向きもあるが、どちらも他人の言葉を読む存在であり、その近さを見逃すべきではない。


2008年10月22日(Wed)▲ページの先頭へ
いずみちゃむ
丸岡いずみ(愛称、いずみちゃむ)は、ストレイトニュース(11時半)、おもいッきりイイ!!テレビ(Newsエスプレッソ)、ミヤネ屋(全国ニュースコーナー)と、日本テレビ系の昼のニュースを渡り歩き、3度同じ原稿を読んでいますが、読むだけというわけではなく、おもいッきりでは、みのもんたに問いを振って、相変わらずの演説を誘ったり、ミヤネ屋では、ニュース後の十数秒、宮根にいじられたりしている(ストレイトニュースは読むだけ)。みのの演説を、全て受け入れるでもなく、かといって拒絶するわけでもなく、受け流し、宮根に対しても、蝶のように舞い蜂のように刺す態度で答えている(注)。こうした距離感は、素晴らしい。古舘の横に座っている女などは、古舘のどうしょもない話に一つひとつ深刻そうに頷いていますが、ああいうのとは違う(東大出だからかもしれませんが、佐々木恭子は、同じ頷くにせよ、堂に入ったものです)。夜6時台のニュースに出て来る女性キャスターのような重みはないですが、《ビジュアル上の若々しさ》(Wiki)とコミュニケーションスキルの交わったところに、独特の軽みが生まれているといえるのでしょう。
(注)褒めすぎかもしれない。コミュニケーションスキルがないので、その分析も出来ない。


2008年10月16日(Thu)▲ページの先頭へ
普通のアニメ
ヤマカンは、普通のアニメを作りたいらしい。「普通の」ということで、ギミックに頼る京アニを批判しているようです。ギミックというのもヤマカン用語で、メタ/ベタ/ネタのうちでいえば、ネタのことであり、「普通の」は、ベタのことであろう。
らきすたは、メタアニメが不可能であることを示しているらしいですし、時かけなんかも、メタを捨てて、固有時をベタに享受することを選んでいるともいえるだろう。時代は、ベタへの回帰、つまり、ヤマカンのものになろうとしているのでしょうか。


2008年10月10日(Fri)▲ページの先頭へ
ランカ・リー
エヴァでは、敵は、他者そのもの(使徒)であり、その殲滅後に、あらゆる他者性の消去(人類補完計画)が企まれている。マクロスフロンティアでは、他者の群れ(バジュラ)と人類の群れの真ん中に、ランカ(半分人で、半分蟲)という少女を置いて、対話らしきものが行われ、共存することになる。ここでも人類補完が企まれており、それには、エヴァとは違い他者(バジュラ)をも利用する。バジュラを犠牲にしてもか、という言葉は、こうしたコンテクストから理解できる。バジュラ自体が、補完された人類に近いともいえる。それに対して、複数性を理解させるにはどうしたらよいかというのが問いで、歌が複数あることから、主体の複数性を理解したようである。歌姫二人が、似たような境遇なのは、こうした事情によるのだろう。(注)
(注)ランカ・リーアンチスレに書き込んだもの(例えば、38-18)を、推敲した。


2008年10月05日(Sun)▲ページの先頭へ
これはパンツではない
「パンツじゃないから恥ずかしくないもん!」は、現代美術でいえば、ウォーホルというより(注)、まず、「これはパイプではない」が想起される。パイプらしきものの下に「これはパイプではない」と書かれているやつ。
キャラクターは、萌え記号の総和であるということですが、そうだとすると、まなざしは拡散してしまうのに対して、「これはパンツではない」ということで、パンツ(のようなもの)にまなざしを集めることに成功している。つまり、まなざしのコントロール。
規制によってパンツは映してはならないとされることを逆手にとり、パンツ(のようなもの)をパンツではないということで、パンツ(のようなもの)を映すことを正当化すると同時に、パンツ(のようなもの)にまなざしを集めた上で、絶えずパンツ(のようなもの)を画面に映し出すことで、催眠的なものに仕立て上げている。また、「恥ずかしくない」というのだから、このまなざしも恥ずかしくない(はずだ)。このように、規制とまなざしと言葉と物が、巧みに配置されている。
(注)ストライクウィッチーズの「抽象化されたパンツでは無い何か」が面白い
http://d.hatena.ne.jp/karimikarimi/20080826/1219715014


   


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