風子思考集成 - 2009/02

fuukoについて




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2009年02月28日(Sat)▲ページの先頭へ
部屋と下着
どうしてだかは忘れたのですが、「月間星野真里」を買ってみた。ついでだから、「月間鈴木茜」も買ってみた。これは宮下マキという「部屋と下着」という写真集で知られる人が、雇われ仕事で撮ったようです(注)。鈴木茜というのは、着エロの人らしいですが、「部屋と下着」の写真家に撮らせてみようというのは、なかなかの慧眼だといわねばなりません。
女(の子)の部屋というのは、写真にとって未踏の領域であったといっていいのかもしれません。女(の子)が生活しているだけの姿は、女(の子)にしか見えない。一方、着エロは、モロが氾濫する中での反動めいたものであり、外すものを男(の子)に与えているのでしょう。
(注)http://iwata-blog.seesaa.net/article/96149428.html


2009年02月22日(Sun)▲ページの先頭へ
ボランティア
金子郁容「ボランティア」(岩波新書)という本を、柄にも合わず買ったのですが、あとがきだけ先に読んだところ、助けを求められることで、助けたくなるのが人間というものらしいです。そこからつながりが生まれる。標語ふうにいえば、必要とされることが必要、ということなのかもしれない。居場所のない人が、ボランティアをすることで、自分が必要とされる場所に身を置きたがっている。誰からも見捨てられていると思わずに済むために。しかし、そこでのつながりは、あくまで公共圏のものであって(つまり、誰でもいい)、親密圏のものではなく、その場限りのものでしかない。そこで友達や彼女が出来ることはあるのかもしれないですが、それはまた別の話。
ボランティアと援助交際は同じ頃に現れた。朋ちゃんは、♪街中で居る場所なんてどこにもない、と歌っている。援助交際は、居場所のない少女が、男を援助(ボランティア)することで、居場所を見つけようとしているものといえる(男にも居場所はない)。総体として、小室哲哉のしていたことは、援助交際なのかもしれない。
居場所のなさの系譜は、新しい家郷(=核家族)における少女を起点にしているといえ(参考、宮台真司ほか「サブカル神話解体」)、そのヴァリエーションが連綿と続いてるということかもしれない。


2009年02月16日(Mon)▲ページの先頭へ
こころがかんなぎに引用されていたので、積んであった門を読んでみました。三角関係で、略奪愛みたいなものでくっ付いた夫婦の話ですが、こころも、そんなでした。大西巨人は、この夫婦が理想だ、みたいなことをどこかで言っていたのですが、社会から弾き飛ばされて、夫婦だけで世界を作っているわけで、きみとぼくの閉じた(?)世界であるといえるでしょう。世界で一人だけというのは、あまりに寂しいですが、二人だと、生きていけるかもしれない…。植田佳奈はどこかで、ケンシロウとユリアが理想だ(?)といっていましたが、二人だけの世界みたいなのを考えているのかもしれない。
セカイ系は、アスカに拒絶されないエヴァだといわれますが、それでも、人類補完計画(的なもの)は拒絶している。きみとぼくしかいないということは、三人称はないということだし、それと一体化することも拒んでいる。


2009年02月10日(Tue)▲ページの先頭へ
AFTER STORY
その後(AFTER STORY)、二人は末永く幸せに暮らしましたとさ、というのが昔話だけど、エロゲーは、二人の未来になど最高に無関心である。とにかく、処女のヒロインを奪うことさえ出来れば、あとはどうでもいい。この点で、クラナドは、AIRとは違う形で、エロゲーの臨界点といえるかもしれない。ふたりが暮らした、という宮崎アニメ(注)のようなことを、エロゲーでやっている。エロゲのヒロインと、ずっと暮らすなんて、考えられるのだろうか。よく分からない。渚みたいな女(の子)が、この世に存在するとは思えない。奇跡など、なおさらありえない。
東浩紀ふうにいえば、「父親になれない」という課題を突きつけられたゲーム作家が、「父親になりたい」と思い、作品を構想したところ、体の弱いヒロインは死んでしまい、娘も死んでしまう、というようなのしか思いつかず、そのままだとあんまりなので、窮余の策として、奇跡を起こしてみた、ということなのかもしれない。結局、奇跡なしに、父になどなれない。父とは、奇跡なのである。
ヨブ記は、当初、やられっぱなしだったが、それではあんまりだということで、救いのエピソードを加えたらしい。柄谷は、同じ嫁が帰ってこないのに、喜ぶのはおかしいといっていた。クラナドでは、同じ嫁(と娘)が帰ってくるのですが、それはそれで…。
(注)ハウルは、クラナドと同じ04年に発表されている。


2009年02月04日(Wed)▲ページの先頭へ
あちらの世界
声優ラジオとかにのめり込んでいる人は、そこにある擬似的な親密さみたいなのに惹かれるからかもしれません。百合好きと、声優好きは、それぞれ単体でも危ういのですが、揃うとほとんどの人があちらの世界の住人になってしまうことが知られています。声だけというのは、とても親密な感じがしますし、囁き声などになるとなおさらです。そしてそれは、聞き手と話し手の間のみならず、話し手同士にも親密なものを感じさせる。こういうのが昂じると、声優好きから入って、百合好きになってしまう。こうなると、もう戻って来れない。
囁き声は、親密さを感じさせる。能登麻美子が、あれほど演技に難があるにもかかわらず重用されるのは、その辺によるのだろう。


   


人手です。

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