風子思考集成 - 2009/04/27

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2009年04月27日(Mon)▲ページの先頭へ
おんなのこ
68年は、象徴界の失調が決定的となった年とされる。その後、一時ではあるものの、現実が露出することになるが、それはおんなのこにも見られ、これは見逃せない。標語ふうにいえば、“おんなのこはおんなのこである”。映画でいえば「都会のアリス」や「ミツバチのささやき」に出てくる少女のかわいさ。しかし、虚構(記号、篠山紀信的なもの)が現実を覆うことで、こうしたリアルなものは退いてしまう。
しかし、あおいちゃんのころになると、リアルなものが再浮上してくる。子役は大成しないというような通念は、この世代には通じない。大きくなっても、リアルで生々しい部分が温存されているからであろう。「苺ましまろ」がなぜ危ういかといえば、萌え記号に覆われているからではなく、この次元に到達しているからではないか。


   


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