風子思考集成 - 2009/07/19

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2009年07月19日(Sun)▲ページの先頭へ
地頭
検察が起訴すれば、ほぼ100%有罪で、量刑は8掛け。これでは、事実上検察がすべてを決めているといってよい。無罪判決はお飾りである。実際、高裁で紙切れのように破棄される。このように検察が事実上裁いているのにもかかわらず、なぜ裁判所が存在するのであろうか。
検察はいわば藤原氏であり、裁判所は天皇である。検察批判が常に空虚なのは、天皇(裁判所)批判を伴っていないからである。裁判所が機能していないことを見逃してはならない。もっとも、裁判所も一定のテリトリーを有していることは否めず、最高裁は院政のようなものといえるかもしれない。なお、警察は地頭であろう。
刑事裁判において、弁護士はお飾りである。周知のとおり、彼らが何をしても意味はない。自白があれば有罪とされ(日本版自白法則。自白法則は、日本では、この意味でしか存在しない)、かつ、地頭たる警察があらゆる方法を用いて自白させているので、もはやどうすることもできない。
日本の刑事司法は精密司法ともいわれるが、それを支えているのが、この自白法則および何としても自白を得るための地頭による暴力である。精密であるからといって、暴力的でないなどと考えてはならない。上層は手を汚さないが、それは下層の暴力があってこそである。こうして現れる司法の総体は、カフカの小説に出てくる処刑機械を連想させる。地頭、藤原氏、天皇という3つの部品からなる機械が、被告の体を切り刻んでいく。


   


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