風子思考集成 - 2009/07

fuukoについて




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2009年07月26日(Sun)▲ページの先頭へ
白シャツ
カレカノを見てると、女子の制服のほうにネクタイがあり、男子にはネクタイがないことに気づいた。気になったので調べたところ、現実にもそういう学校はあるようです。女子がネクタイをすることの意味も気になりますが、ここでは男子がネクタイをしていないことに注目したい。
思うに、ネクタイをしたシンジ君というのは考えられない。《エヴァの、夏の緑 白シャツの少年 危うい14歳 みたいな雰囲気が好き、って人に。『まぶだち』〔注、古厩智之監督、00年〕をお勧めする。不良にも優等生にもなれない屈折した少年たちの静かな青春。飄々としている主人公が格好良い》(エヴァヲタの好きな映画468)。「危うい14歳」は「白シャツ」という表象に支えられているといっていい。そこにネクタイはない。ネクタイは、半ば拘束具のようなもので、14歳の危うさを殺いでしまう。ちなみに、あむちゃんもネクタイをしていますが、伊藤かな恵は自分でネクタイを結べませんでした(注)。
(注)ボイス オブ エーアンドジー デジタルかな#29(2008.10.07)


2009年07月19日(Sun)▲ページの先頭へ
地頭
検察が起訴すれば、ほぼ100%有罪で、量刑は8掛け。これでは、事実上検察がすべてを決めているといってよい。無罪判決はお飾りである。実際、高裁で紙切れのように破棄される。このように検察が事実上裁いているのにもかかわらず、なぜ裁判所が存在するのであろうか。
検察はいわば藤原氏であり、裁判所は天皇である。検察批判が常に空虚なのは、天皇(裁判所)批判を伴っていないからである。裁判所が機能していないことを見逃してはならない。もっとも、裁判所も一定のテリトリーを有していることは否めず、最高裁は院政のようなものといえるかもしれない。なお、警察は地頭であろう。
刑事裁判において、弁護士はお飾りである。周知のとおり、彼らが何をしても意味はない。自白があれば有罪とされ(日本版自白法則。自白法則は、日本では、この意味でしか存在しない)、かつ、地頭たる警察があらゆる方法を用いて自白させているので、もはやどうすることもできない。
日本の刑事司法は精密司法ともいわれるが、それを支えているのが、この自白法則および何としても自白を得るための地頭による暴力である。精密であるからといって、暴力的でないなどと考えてはならない。上層は手を汚さないが、それは下層の暴力があってこそである。こうして現れる司法の総体は、カフカの小説に出てくる処刑機械を連想させる。地頭、藤原氏、天皇という3つの部品からなる機械が、被告の体を切り刻んでいく。


2009年07月14日(Tue)▲ページの先頭へ
ひどいこと
カレカノを、破の余波で、見てみたけど、シンジとアスカのそれからみたいな感じだから、作ったんでしょう。今さらながらな感想ですが…。アスカっていいですよね。ひどいことをしたくなる感じのおんなのこだ。破でもひどいことをされてましたが、それでこそアスカというもの。
宮沢雪野はエヴァのキャラのなかではアスカっぽい。有馬君は、どうなのか。シンジではないか…。
外キャラとかいってると(そういってはいないが)、しゅごキャラになってくる。
第1声である「私は人の目にどう映るのだろうか。」というのは他者指向ではあるけれど、どう見えるかというだけであり、彼氏彼女はそこから離れ、全人格的な承認に至る感じではある。この辺、エヴァっぽくあり、学園エヴァといっていいのかもしれない。


2009年07月06日(Mon)▲ページの先頭へ
サンタフェ
サンタフェ(宮沢りえ、17歳の時に撮られた)が児童ポルノであるというのは、理解しがたい。例えば、ルイスキャロルは、割れ目の入った少女を撮っているが、欧米でそれが発禁になったという話は聞かない。芸術性を考慮して、(規制するにしても)それなりに妥当な運用がなされているのであろう。篠山紀信が芸術的かどうかは、争う余地があるかもしれないが…。しかし、この国では、運用に期待することはできない。それは、わいせつの判例を見れば、よく分かる。最高裁が採用するのはチャタレイ夫人を有罪にできる基準であり、限定機能は一切ない。そこで、訴追する側の運用に委ねられるが、その運用の恣意性は周知のとおり。
17歳が「児童」というのも不思議ではある。高校生や中学生を好む人はロリコンなのだろうか。初潮を迎えている高校生や中学生が、性的な存在であることは否めない。肌を露わにする機会は多いはずだ。従って、問題は、しょうがくせいに限られよう。意味の消尽した現在において、商品といえるものは、しょうがくせい以外に存在しない。そして、服を着せていれば、性的でないというわけでもない。苺ましまろやガンスリンガーガールが、児童ポルノと同じまなざしで見られていることは疑いない。服だけでは足りないのだ。しょうがくせいには、イスラムの女のように、ベールでも被せるべきなのかもしれない。


   


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