風子思考集成 - 2010/02/22

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2010年02月22日(Mon)▲ページの先頭へ
パズル
予備校は、試験のコードを解析したうえで、体系的にカリキュラムを組むので、そこに出来上がるのは、必然的に某RPGのごとき一本道である。従って、受験のためには予備校があればよく、高校は不必要な存在となる。田口賢司はこう言っている。《予備校が「教育」にとっての「必要悪」ならば、高校はいうまでもなく「受験」にとっての「不必要悪」、「悪」そのものであることは間違いない》(「受験参考書の愉楽」)。
おそらく私学は、こうした状況の下、予備校化したといえるでしょう。中高一貫校などは、5年で(?)カリキュラムを終え、後は演習を行うわけです。《演習には高校の教材『スタンダード受験編』(数研出版)のみを忠実にこなしている受験生を最難関に合格させる不思議な力が秘められている。演習こそ受験数学にとって黄金と思える》(前掲書)。スタンダードは、やった記憶がありますが…。
演習の位置づけというのは、どういうものなのでしょうか。東條英機は「勉強は暗記だ」と悟ったらしいですが、これはこと日本では真を突いていると思われます。とすれば、暗記と演習はどのような関係にあるのでしょうか。
おそらく、演習は、解放の暗記なのでしょう。知識の暗記のみならず、解法の暗記も求められるのです。入試問題は、暗記をベースにしたパズルだといってよいでしょう。
要するに、暗記とパズルが出来れば、大学は通るのです。そこから滑り落ちているのは、概念を操作することでしょう。おそらく、出題する側もそのようなことはできない。日本発の概念は、無のヴァリアントしかないのではないでしょうか。


   


人手です。

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