風子思考集成 - 2010/04

fuukoについて




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2010年04月30日(Fri)▲ページの先頭へ
破綻させる
朝日新聞に、国を破綻させればいい、そうすれば日本人は頑張るだろう、という投稿が載っていた(冨山和彦「破綻させる」、朝日新聞4月1日付)。このような論旨の背景としては、一度作られた利権(ないし既得権)は排除できず、増殖していき、全体を喰らい尽くしてしまうということがある。いっそそれに委ねよ、ということであろうか。破綻すれば、利権ごと壊れるので、再スタートできる。


2010年04月23日(Fri)▲ページの先頭へ
斎藤美奈子
斎藤美奈子が、1Q84のレビューを朝日新聞4月17日付(発売翌日)に書いていた。太宰治は、彼の内面を自分だけが分かっていると読者に思わせたが、村上は、彼の世界観を自分だけが分かっていると読者に思わせる。それが、謎本を誘発する理由である。第1,2巻が、謎をばら撒く問題編だとすると、第3巻は、それを回収する解答編といえる。処女懐妊には驚いたが、それを含め、ほとんど神話や聖書の世界になっている…。
世界観がどうのこうのは、物語消費論から大塚がずっと言っていたことですが、今年になって巻き返してきた感じです(「セカイ系とは何か」とか「神話が考える」といった東浩紀に近い人の初の単著で練り直されている)。大塚自身、サブカルチャー文学論で、謎本誘発に一章割いていたはずですが、自らの理論に従えば、一章割かずとも、すぐに解は出たはず…。世界観(=大きな物語)、物語(=小さな物語)、キャラクターというのが、キャラクター小説の作り方における、キャラクター小説の3要素でした。キャラクターというのを出してきただけで、物語消費論の枠組みを踏襲している。世界観からキャラクターにヘゲモニーは遷ったものの、サブカルは、大塚の掌で踊っているだけなのかもしれない。


2010年04月16日(Fri)▲ページの先頭へ
マーガリン
《カンボジアの死(注、文民警官戦死)に扱ひが気にくはぬ成るつたけ薄く引けマーガリン》(岡井隆「神の仕事場」)。湾岸戦争の後、国際協力の姿が模索される中、カンボジアに文民警官を派遣したところ、殺されてしまった。その死の扱いが気に食わないので、岡井隆は、マーガリンに怒りをぶつけた(?)ということなのでしょう。マーガリンは人生のことなのかもしれない。人生は、マーガリンのように他愛もない。だから、意味など考えてはならず、その他愛もなさの中に充足して、マーガリンを「成るつたけ薄く引」くように、細く長く生きればよいのである。文民警官のように、人生にそれ以上の意味を求めて、死ぬことはない…。
吉本隆明はこういっている。《わたしの思い込みのなかでは、中田厚仁さんの父親は、当然ながら、うちの息子は国民の合意もないで政府だけが勝手にきめたPKO(国連平和維持活動)などに無償奉仕するためにカンボジアに出かけ、生命を落とすようになったら、ただの犬死だからよせというのも聞かずに、出かけて射殺されてしまった。どうか日本の青年たちは息子のような無駄死などはせずに、じぶん個人の愉しみや生きる目的のためだけ生涯を使って下さいとでも言うものと想像していた》(「UNTACなど認められない」)。
http://wiki.livedoor.jp/shomon/d/%C3%E6%C5%C4%A4%B5%A4%F3%A4%CE%C9%E3%BF%C6%A4%D8%A4%CE%B0%E3%CF%C2%B4%B6
戦後民主主義の帰結としては、こうなるのでしょう。「〈民主〉と〈愛国〉」で、吉本は「「公」の解体」と括られていますが、「公」の解体というコンセプトは、戦後民主主義を純化したものと捉えるべきでしょう。ここでは、どこまでも「私」の中で充足しなければならず、外からの意味付けなど求めてはならない。そんなことをすれば、せっかく築いてきたシステムが崩れてしまう。
イラク人質の高遠菜緒子をモデルにしたと思しき「バッシング」という作品は、彼女の行動を、〈日本には居場所はないんだ、でもイラクで人助けをしているうちは認めてもらえるんだ、だからイラクに行くんだ〉というシンジ君のような論理で解釈していました。これに似た論理で、文民警官も捉えられたのでしょう。


2010年04月09日(Fri)▲ページの先頭へ
小倉優子的
かな恵ちゃんの超ラジ(注)に、君に届けOPの歌手タニザワトモフミがゲストにやって来て、下心について語り始めたので、君に届けOPをかけて話を遮るというシュールな(?)光景が見られました。男子の実態を知ろうというコーナーで、メールがかな恵ちゃんの立脚する少女マンガの世界観と抵触したとき、救済措置(?)として、ボタンを押せば、好きだと再三いっていた君に届けOPを流すことができ、ついでに映像がお花畑に切り替わる、というふうになっていた。少女マンガの世界観を歌う歌手に下心について語らせることで、かな恵ちゃんの世界観を崩してみようという試み。仕組まれていることは、そのとき、画面がかな恵ちゃんの方だけお花畑になっていることからも分かる。
かな恵ちゃんのキャラを崩壊に追い込むというのは、マゾっぽくて(?)いいかもしれない。ことさらに作られたキャラを破綻させかねないものに、キャラを晒してみるというのは一つの芸風なのかもしれない。小倉優子的…。いや、もちろん、かな恵ちゃんは純真な子で、キャラなんてぜんぜん作ってないんですけど。幽遊白書に、何も知らない幼女に無修正のAVを見せるように(?)、っていう台詞がありましたが、このラジオも、そんなテイストなんですけど。
(注)http://www.nicovideo.jp/watch/sm10134843


2010年04月01日(Thu)▲ページの先頭へ
やらせ
田原総一朗のサンデープロジェクトが終ったようです。
彼は、60年代、東京12チャンネルにいたころ、《「過激な題材」を元に、「やらせ的な演出をして、その結果としておきる、スタッフ、出演者、関係者に生じる葛藤までを、全て撮影する」手法をとった。田原の著書『青春この狂気するもの』に、この「確信犯的」な手法が書かれており、その本を読んで衝撃をうけた、原一男に手法が引き継がれた》(Wiki)とのことで、大したものです。出来事にどう対応するかで、その人の真価が決まるというような考え方があり、しかし出来事など待っていても起こらない、ならば出来事をぶつけてみようとか、けしかけてみようとかいうのは、ひとつの手法ではあるのでしょう。サンデープロジェクトは、それを政治家に対してもやってみたということなのかもしれません。
しかしながら、それを以って、政治家の本音を引き出すとか言ってるのはどうなのか。議論というのは、コンセプチュアルで建前上のものであり、本音では出来ないのではないかと思うのですが。もともと議論をする気などないのかもしれません。それでも彼は、日本に議論のようなものを導入したということくらいは出来るでしょう。


   


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