風子思考集成 - 2010/06/21

fuukoについて




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2010年06月21日(Mon)▲ページの先頭へ
セーラーふく
セーラー服を脱がさないで、という歌がありましたが、その理由は、セーラー服を脱ぐとおばさんになってしまうからであると、大塚英志はいっていました(「少女民俗学」)。これは、セーラー服という記号性しか彼女たちにはないという認識からでしょう。しかしながら、らきすたのOPであるもってけ!セーラーふくでは、セーラーふくがもっていかれても、自己が失われることはないということが歌われています。これは、どういうことなのでしょうか。
おそらくは、手塚の死後、記号性と身体性の関係が変わったのでしょう。どう変わったかは、よく分かりませんが、「オートマティズムが機能する」(佐藤心)ようになったということだけはいえるでしょう。らきすたに続くけいおんでは、少女たちは、実にオートマティックに動いています。ゼロ年代のアニメが見た夢といっていいでしょう。あずまんが大王のアニメ化はこけてましたが、あれは、4コマとして面白すぎました。4コマの原作はカスであればあるほどいいというのが、らきすたやらけいおんの教訓でしょう。たぶん、そのほうが、アニメのキャラとしては動いてくれる。


   


人手です。

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