風子思考集成 - 2010/10/15

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2010年10月15日(Fri)▲ページの先頭へ
敗戦後論
日本人の戦争観は、自分たちは被害者である、というところに収斂した。自分たちは国に騙されていた。加害者は国である。そのような国は信じられないから、軍隊を持たせるわけにはいかない。自分の子が徴兵されるのは真っ平である。このような思考の原因は、その国家観にあると思われる。
近代に入っても、依然として、ムラビトの世界は、ムラで完結していた。江戸時代までのように、国なしでも暮らしていけたのである。従って、国は、自分たちの暮らしの外部にある存在である。うまくいってるあいだは、彼らに任せたうえで適当に従い、その果実を乞うが、うまくいかなくなれば、切り離し、罵倒する。
加藤典洋「敗戦後論」は、戦後日本が「戦争に負けたこと」を受け止めていないため、戦後処理が出来ない、とする。しかし、国民は、国が「戦争に負けたこと」を受け止めたうえで、国を切り離して、国の行ったことはあずかり知らぬとした。勝てば官軍、負ければ賊軍というわけだ。政治的責任など思いもよらない。
従って、国民は自分たちが悪いとは思っておらず、切り離した国が謝ろうが謝るまいが、どうでもよい。国としては謝らざるを得ないであろうが。しかし、僅かにいる心情的に国に就いている人にとっては、異なる。彼らにとって、国家は無垢なものでなければならない。自らの空洞を埋めるものとして国家が現れているからである。こうして、国と心情的に国に就いている人に、分裂が現れることになる。


   


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