風子思考集成 - 2010/12

fuukoについて




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2010年12月26日(Sun)▲ページの先頭へ
給食
給食費を払わない親がいることが社会問題化しているようだが、これには疑問がある。
どうして給食費を払わないことを、ここまで問題視するのだろうか。貧しい層が増えていることは、周知の事実である。《文部科学省の調査では「保護者の経済的な問題」が未納理由の43%を占める》(「給食費・保育料、滞納分天引き 学校・自治体は歓迎も…」産経新聞 12月19日)。しかし、どうやら、貧乏でも給食費だけは支払うべきという規範意識があるようである。《滞納に悩まされてきた東京都内の自治体元教育長は「ほとんどの場合、単にほかにカネを使ってしまっているだけ。子供の教育費を優先して支払うという意識がない」と、経済的問題より、親のモラルの問題が大きいと指摘する》(同前)。しかし、ほかにカネを使う内には、習い事の月謝など子供の教育費も含まれているはずである。従って、この教育長が問題視しているのは、子供の教育費を優先して支払うという意識がないことではなく、給食費を優先して支払うという意識がないということであろう。給食費を優先して支払うという意識が、かつてはあったことが窺える。この意識は、先生と生徒は、親と子に擬せられた関係であり、これが絶対的であったことに由来する。年貢の納め時という諺からも分かるように、税金は誤魔化すものと一般に考えられているが、親と子に擬せられた関係に関わるものは別ということであろう。


2010年12月19日(Sun)▲ページの先頭へ
自(おの)ずから
《完全に自分の考えていることが活字に組まれる価値が十分にあると思い込んでいる。そんなものはどう考えても狂気の沙汰だ。ヒトラーとか石原慎太郎とか、そういう類のグロテスクな傲慢さの持ち主だ》(中原昌也「KKKベストセラー」)。
このように中原昌也は、ヒトラーと石原慎太郎を並置する。これには共感するが、ナチズム国家と天皇制国家には、違いもある。ナチズム国家は、アトム化した個人から喝采を得ることで、支配を行ったが、アトム化を促進するべく、相互不信を増幅させることで、相互監視させることに心血を注いだ。しかし、天皇制社会では、アトム化はデフォルトである。ただし、ここでアトム化しているのは、個人ではなく、イエという小集団である。イエは、内で凝集しているので、外に対しては孤立する。ムラではイエ単位で相互監視が行われ、虚数的人物が生まれる。ムラでの決定は、喝采によるものではないが、全員一致である。天皇制国家は、天皇制社会であるムラを組織化されたイエである国家の末端とした(参照、藤田省三「天皇制国家の支配原理」)。ナチズム国家が、自(みずか)らアトム化を押し進めるのに対して、天皇制国家では、イエが自(おの)ずからアトム化するので、その点では何もしなくていい。


2010年12月12日(Sun)▲ページの先頭へ
慎太郎
中原昌也は、こういっている。《やっぱりこの日本国民が誇れるのは慎太郎とマンガですね。慎太郎!マンガ!慎太郎!マンガ!慎太郎!マンガ!慎太郎!マンガ!慎太郎!マンガ!慎太郎!マンガ!それだけが交互にあれば他には何もいらん!と断言しようじゃありませんか》(「お金をあげるからもう書かないで、と言われればよろこんで」)。しかし、慎太郎はマンガを規制することに執心している。日本国民が誇れるものの一方が他方を憎むのは、なぜか。
日本文化論から考えよう。日本では、小集団は凝集し、そこでは人との距離は近いが、逆に、その外では人との距離が遠いものとなり、相互監視が行われる。つまり、小集団の凝集が、その外における相互監視を生み出している。しかし、相互監視は形式的なものを重んじるため、小集団の外では、小集団的な剥き出しの親密さは忌避される。
これを当て嵌めてみよう。慎太郎は、集団における相互監視が生む虚数的人物であり、マンガは、小集団が生む小集団的雰囲気を伝えるものである。従って、マンガが慎太郎を生み出しているといえる。しかし、慎太郎は、形式的なものを重んじ、小集団的な剥き出しの親密さを忌避するため、マンガを憎む。しかし、心配しなくてもよい。マンガが淘汰されれば、慎太郎も消え、マンガは甦ることになるだろう。


2010年12月05日(Sun)▲ページの先頭へ
マイク貴子
日本では、宴会で、一人がずっと喋っていることが多く、残りは聞き役に回るため、会話に弁証法的な発展がない(中根千枝「タテ社会の人間関係」)。カラオケは、これと違い、一人が歌うものの、残りは適当に喋っていることもできる。聞いていてもいいが、聞いていなくてもよい。そうしても、小集団的雰囲気は損なわれない。このような自由度があるために、流行るのであろう。しかし、底に計算的なものが流れていないわけではない。
小集団的雰囲気の底にいかに計算的なものが流れているかを、「かんなぎ」第10話「カラオケ戦士マイク貴子」は、カラオケをマテリアルとして描き切っている。《カラオケってこんなに複雑な事情が渦巻くものなのか》。そこでの沢城みゆきと花澤香菜の攻防は、息詰まるものである。沢城みゆきや花澤香菜の声質を、活かしきっていることは疑いない。山本寛は、この一話でアニメ史に残るであろう。


   


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