風子思考集成 - 2010/12/12

fuukoについて




[PR]



2010年12月12日(Sun)▲ページの先頭へ
慎太郎
中原昌也は、こういっている。《やっぱりこの日本国民が誇れるのは慎太郎とマンガですね。慎太郎!マンガ!慎太郎!マンガ!慎太郎!マンガ!慎太郎!マンガ!慎太郎!マンガ!慎太郎!マンガ!それだけが交互にあれば他には何もいらん!と断言しようじゃありませんか》(「お金をあげるからもう書かないで、と言われればよろこんで」)。しかし、慎太郎はマンガを規制することに執心している。日本国民が誇れるものの一方が他方を憎むのは、なぜか。
日本文化論から考えよう。日本では、小集団は凝集し、そこでは人との距離は近いが、逆に、その外では人との距離が遠いものとなり、相互監視が行われる。つまり、小集団の凝集が、その外における相互監視を生み出している。しかし、相互監視は形式的なものを重んじるため、小集団の外では、小集団的な剥き出しの親密さは忌避される。
これを当て嵌めてみよう。慎太郎は、集団における相互監視が生む虚数的人物であり、マンガは、小集団が生む小集団的雰囲気を伝えるものである。従って、マンガが慎太郎を生み出しているといえる。しかし、慎太郎は、形式的なものを重んじ、小集団的な剥き出しの親密さを忌避するため、マンガを憎む。しかし、心配しなくてもよい。マンガが淘汰されれば、慎太郎も消え、マンガは甦ることになるだろう。


   


人手です。

新着エントリ
農村 (7/29)
跡形 (7/22)
ムード (7/15)
詠嘆 (7/1)
世帯 (6/24)
濁点 (6/17)
クラブ (6/3)

新着トラックバック/コメント


カレンダ
2010年12月
     
12
 

アーカイブ
2007年 (3)
12月 (3)
2008年 (81)
1月 (13)
2月 (12)
3月 (8)
4月 (6)
5月 (4)
6月 (5)
7月 (5)
8月 (6)
9月 (6)
10月 (5)
11月 (5)
12月 (6)
2009年 (45)
1月 (5)
2月 (5)
3月 (4)
4月 (5)
5月 (5)
6月 (5)
7月 (4)
8月 (5)
9月 (4)
12月 (3)
2010年 (50)
1月 (5)
2月 (3)
3月 (4)
4月 (5)
5月 (4)
6月 (4)
7月 (4)
8月 (4)
9月 (5)
10月 (4)
11月 (4)
12月 (4)
2011年 (30)
1月 (5)
2月 (3)
3月 (5)
4月 (4)
5月 (4)
6月 (4)
7月 (5)

アクセスカウンタ
今日:26
昨日:35
累計:264,544