風子思考集成 - 2011/02/22

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2011年02月22日(Tue)▲ページの先頭へ
クイーン
飯城勇三「エラリー・クイーン論」は、後期クイーン的問題を今までにない視点で捉えている。後期クイーン的問題を捉えるには、まず、クイーンの推理法を理解しなければならない。探偵としてのクイーンは、手がかりに基づいて、論理的な推理を行う。初期クイーンは、これを極めている。後期クイーンの犯人は、偽証拠を用いて探偵を誤導するが、手がかりに基づく論理的な推理を行う探偵が相手でないのであれば、このようなことは出来ない。後期クイーンの犯人は、探偵の分身なのである。クイーンの二人が、従兄弟であることも影響しているのかもしれない。
では、後期クイーン的問題をどのように捉えるべきか。たしかに、後期クイーン的問題をゲーデルの証明のように考えれば、つまり、偽証拠であることを明らかにするメタ証拠も偽証拠である可能性を考慮すれば、決定不能の状態に陥る。しかし、犯人は偽証拠によって探偵を誤導しようとしており、それを用いて探偵を騙そうとしているうちは、別の誤導を誘う偽証拠を出したりはしないはずで、つまり、メタ偽証拠を作るメリットはない。偽証拠が偽であることが露見した時点で、また別の偽証拠を出せばいい。探偵は、偽証拠に騙されているふりをして、犯人の裏をかくことも出来るだろう。このように、後期クイーンの世界は、犯人と探偵の言語ゲームと見做しうる。ウィトゲンシュタインは、《私の問題は、例えばゲーデルの証明について語ることではなく、そのわきを通って語ることである》(「数学の基礎」、中村秀吉・藤田晋吾訳)といっているが、クイーンも、ゲーデルの証明のわきを通っている。
しかし、言語ゲームでは対処できない犯人も存する。「最後の一撃」(内容に触れます)のように、偽証拠が指している人物にしかその偽証拠を作れないという状況を作られると、宙吊りに陥る。つまり、自己言及を行う犯人には、対処できない。結城氏は、そのように考えていないが。


   


人手です。

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