風子思考集成 - 2011/04

fuukoについて




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2011年04月27日(Wed)▲ページの先頭へ
イエとムラ
「タテ社会の力学」の第二部「集団と集団」は、集団相互の決定プロセスを、クラゲに喩えることで説明している。これは、ムラ的なものを捉えたといっていい。そして、集団の中に小集団が見出される。この小集団における決定プロセスも、集団相互におけるものと相似である。この小集団はイエに当たるものだろう。こうしてイエとムラが揃う。


2011年04月20日(Wed)▲ページの先頭へ
垂直
「タテ社会の人間関係」の英語版“Japanese Society”は、誤解を招いた。日本社会はツリー状の社会であるという誤解である。これは、中根がタテということを強調しすぎ、かつ、タテということと垂直的ということが区別せずに読まれていることに由来する。
中根は、タテとヨコを対比する。父系制においては、兄弟姉妹が連帯するヨコの関係が見られるとする。しかし、父系制の家族には、垂直的な関係も見られる。タテは、垂直の不在から来る。そして、垂直があるからこそ、水平がある。


2011年04月12日(Tue)▲ページの先頭へ
分からなくもない
中根千枝「タテ社会の人間関係」によると、日本社会では、人は一つの集団の枠の中に閉じ込められており、その枠を維持するものとしてタテの原理がある。理論の元となっている有賀喜左衛門は、イエ内部の関係、イエ連合におけるイエとイエの関係、さらにその外の関係は相互規定しており、これらの関係は全てタテであるとする。これなら、分からなくもない。しかし、中根は、イエよりも大きな集団を、イエのような小集団なしに説明しようとする(注)。イエの内でも外でも同じである以上、イエを除いても構わないということなのだろう。
(注)イエが原型であるとは言っている。


2011年04月05日(Tue)▲ページの先頭へ
ディラックの海
藤田省三「天皇制国家の支配原理」は、絶対主義国家たらんとした明治国家が最下層に到達した途端に、逆に最下層の原理によって最上層まで染めあげられてしまったという顛末を物語る。これは、はっとするくらい鮮やかなイメージである。評論もイメージを生まなければならないことを、学び得る。
もっとも、そのような絶対主義が実在したかは疑問である。しかし、最下層の原理、つまりムラの原理が天皇制国家の支配原理であることが、これにより見通せる。天皇制国家は影にすぎず、天皇制社会こそ本体であるディラックの海なのである。過誤があるとすれば、むしろ、ムラ社会の原理を明らかにできていないことであろう。タテ社会的なことはここでもいわれているが、それは最深部ではないのである。


   


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