風子思考集成 - 2011/07

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2011年07月29日(Fri)▲ページの先頭へ
農村
小熊英二「〈民主〉と〈愛国〉」は、ある人の戦争体験がその人の戦後思想を規定したという図式で書かれているが、そのうち大塚久雄の戦争体験は、農村に疎開したというものである。農村で大衆の実像を知ることが彼の戦後思想を規定したという。こうなると、丸山のように徴兵され、農村出身者の暴力に苦しまなくとも、戦後啓蒙思想を作るには民衆の実像を知れば足りることになるだろう。丸山、大塚、川島は戦後啓蒙思想のトライアングルといえようが、川島も戦前に農村を調査していた。
しかし、このように考えるならば、農村出身であることに意味が出てくる。農村出身であれば、大衆の実像を知っていることになり、そのことが彼の思想に何らかの影響を与えていると思われるからである。「単一民族神話の起源」で取り上げられている和辻や津田などは農村出身であり、村の長老のようなものとして天皇を捉えたということである。農村でなくとも、下層出身であれば同じであろう。ゆえに、吉本などは大衆の実像を知っていたのであり、これが彼の思想を左右していないとは考えられない。


2011年07月22日(Fri)▲ページの先頭へ
跡形
理念らしきものにムードしかないことは、その崩壊過程を規定している。社会党は与党になったときに、自衛隊は合憲であると考えを改めた。自衛隊は違憲という主張は、野党であることという事実が支えていたということになる。与党がそれを主張することは、世間のムードが許さないのだろう。また、朝日新聞は、911後にアフガン空爆はやむを得ないとする社説を掲載するが、これは理念らしきものの終わりを告げている。それに対する抗議に対して、幹部の一人は「一千万部近い部数があるんだから、二百いくつの抗議は関係ない」(福田和也・大塚英志「最後の対話」)といった(らしい)。世論が地殻変動を起こしており、アフガン空爆を支持していたということだろう。前提となる事実が変われば、ムードは変わるのであり、そうなると理念らしきものは吹き飛んでしまう。しかし、前提となる事実とムードをつなぐ論理がないために、ムードが消えると、何も残らない。戦後的なものは跡形もなく消えてしまった。


2011年07月15日(Fri)▲ページの先頭へ
ムード
日本社会では、理念が語られたとしても、すぐにタブーと化してしまい、思考はそこで止まる。理念を賞賛するムードが作られるが、その底には相互監視があり、批判することはできなくなる。戦後における理念は戦争放棄であった。批判する右はカルト扱いされたと、大塚英志はどこかで書いている。もっとも、ムードが作られるに際しては、それを支える事実がなければならない。日本政府に戦争遂行能力はないこと、そのような政府に徴兵されるのは危険であること、そして米軍が駐留していることなどの事実がそれである。しかし、戦争放棄が理念のようなものたりえた理由は、別に考えなければならない。
日本国憲法の戦争放棄は世界政府を前提としている。あらゆる国家が戦争を放棄したとしても、武装している存在はどこかになければならないからである。戦後の日本人は世界政府を肯定したといえる。しかし、世界政府はなぜ肯定されたのだろうか。戦前は、日本が本家となって中朝などを分家とし、アジアの盟主になることが夢見られた。しかし、敗戦はその夢を捨てさせた。そこで、その夢は、世界政府が本家となり、日本は分家となるというふうに掏り返られたのである。家的な包摂そのものは捨てられてはいない。こうした理路により、戦争放棄は理念のようなものたりえた。


2011年07月08日(Fri)▲ページの先頭へ
丸山(ら)
小熊英二「〈民主〉と〈愛国〉」は浩瀚なものだが、平たくまとめれば、次のようになるだろう。戦後民主主義は六十年代の産物であり、それより前は、民主と愛国が一致した普通の民主主義が求められていたし、丸山眞男もそれを求めていた、と。言葉を換えれば、丸山(ら)は普通の国を志向していた。普通の国では普通の民主主義が行われるものである。
小熊氏の論旨はおおむね正しいのだろうが、なぜ民主主義という理念が戦後民主主義に滑り落ちていったのか、あるいはそもそも戦後民主主義とは何だったのか、といった問いに答えるものではない。
しかし、これらは難しい問いではない。前者の問いの答えは、日本的なものに侵食されたというものである。このような答えを小熊氏は認めないだろうが。後者の問いには、戦後民主主義とは日本版民主主義であると答えれば足りるだろう。従って、戦後民主主義は、ことさら戦後のものではない。民主主義といえるかどうかも疑わしい。宮本常一を引いて、戦後民主主義と同じことは村でも行われていたという論者は正しい。


2011年07月01日(Fri)▲ページの先頭へ
詠嘆
新聞の社説は落ち着きどころを見つけられればそこに落ち着き、そうでないときはいろいろな意見をまとめているだけのことが多い。相互監視社会では言い過ぎると嘲笑の的になるので、落ち着きどころを見いだせればそれでいい。それ以上の思考をした痕跡は見当たらない。新聞に批評は存しないということは、新聞について考えるときのスタート地点であろうが、その由来は相互監視社会にある。新聞の社説は読まれていないが、それは当然である。しかし、新聞の朝刊コラムはそれなりに読まれていると思われる。
新聞の朝刊コラムは、社説と同じく論説委員が書いており、社説と同じ論旨である。しかし、社説に輪を掛けて独特の書き方をしている。パターンがあり、それは、枕に引用を置き、トピックにつなげ、それから次々と目先を変え、最後に枕の引用の呼応めいたことを書いて終わるというものである。これは起承転結などという生易しいものではない。論のつながりは前後にしかない。従って、起次次次とでもいうべきものである。そして、最後に来る枕の呼応は、詠嘆の余韻を残す。とはいえ、トピックで示される落ち着きどころについては、少しの反論も許していない。相互監視社会の落ち着きどころである以上、当然のことではあるが、詠嘆に反論を塗りこめる働きがあることは、注目されていいかもしれない。


   


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