風子思考集成 - 2011/07/08

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2011年07月08日(Fri)▲ページの先頭へ
丸山(ら)
小熊英二「〈民主〉と〈愛国〉」は浩瀚なものだが、平たくまとめれば、次のようになるだろう。戦後民主主義は六十年代の産物であり、それより前は、民主と愛国が一致した普通の民主主義が求められていたし、丸山眞男もそれを求めていた、と。言葉を換えれば、丸山(ら)は普通の国を志向していた。普通の国では普通の民主主義が行われるものである。
小熊氏の論旨はおおむね正しいのだろうが、なぜ民主主義という理念が戦後民主主義に滑り落ちていったのか、あるいはそもそも戦後民主主義とは何だったのか、といった問いに答えるものではない。
しかし、これらは難しい問いではない。前者の問いの答えは、日本的なものに侵食されたというものである。このような答えを小熊氏は認めないだろうが。後者の問いには、戦後民主主義とは日本版民主主義であると答えれば足りるだろう。従って、戦後民主主義は、ことさら戦後のものではない。民主主義といえるかどうかも疑わしい。宮本常一を引いて、戦後民主主義と同じことは村でも行われていたという論者は正しい。


   


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